ピザ屋の彼女になりたい

壁に向かって大声で

恋は環状線を巡るオタク

「だいぶ漠然としてるけど、遠回り渋滞もOK」


7/14埼玉公演

ただの自分の記録として残します!!

※1人のオタクがやっとオタクになる話を、長々と余韻たっぷりに書いてるだけ

 


いや〜〜ご存知の方も居ますが埼玉公演の前に私はオタク人生最大に落ち込んでいました。

それは、ただ私のわがままが生んだもので
推しが悪いわけでも、アイドルに理解を示さない彼氏が悪いわけでもないんですが。

なんとなく、ちょっとずつ悪い事が重なって、しんどくなって、これでいいのかと迷って、自信がなくなって、楽しい方に気持ちの針が全く動かなくなっていました。埼玉公演行かない方が良いのかもしれないと思うほどでした。

 

でも、周りの人に沢山優しい言葉をもらって埼玉公演はなんとか行こうって思って。

結果から言うとすごく楽しかったです。

やっぱり行って良かった。私はめせもあ。が好きだしステージで踊る推しは世界で一番かっこよかった!

 

でも、私のなかで何かひとつ諦めがつきました。

 

推しのソロを見た後、REiもSOMEDAYもほとんど記憶がないんです。

ただ考えていたのは、今まで貰った幸せとこれからのこと、

どうしてこんなにも最近疲れていたのかということ、

こんなに一生懸命歌う推しの姿を見て、私はどうしてこんなに悲しい気持ちなのかということ。

 

これを読んでくれている方はきっと私が迷惑をかけた方ばかりだと思います。迷惑ついでに、私の気持ちの整理にすこしお付き合い頂けますでしょうか。

 


ソロで恋愛環状線を歌った理由を推しは、好きだから、良い曲だからと言っていました。

推しにぴったりの曲だなと思います。

歌詞の中で特に大きなハプニングがあるわけでもなくて、跳びあがるようなかっこいい台詞があるわけでもない。

ただ日常にある少しだけ躓くこと、思わず笑っちゃうようなこと……そんな日々を重ねて、絆が強くなって、これからもこんな風に、と願う。

 

アイドルを職業にする時の理由もそうだし、
生誕祭でも普段でも繰り返し伝えられる推しの言葉は、いつも誰かを思う優しいものばかりで

その優しい言葉は、【当たり前の楽しい日常】は当たり前でないと私の脳みそを突き刺してきます。

だからアイドルをしてくれてありがとう、と、感謝せずにはいられない。

そんなひとが「こんな日々が続けばいい」(ニュアンス)と歌う。

エモすぎる……(失われる語彙力)


そんな一方で、最近の私は自分の日常を犠牲にしてアイドルを追いかけていました。これは事実。

別にそれでいいと思ってました。選んできたのは私で、後悔の無いように……と、やってきたことだから。


でも、この数カ月はこの現場こそが私をしばりつけているような気持ちがずっとありました。

ツアーが、イベントが、何か発表される度に仕事の予定とにらめっこし、少しでも多く通おうと頑張り、

毎回当たり前のように日替わりを買い、くじを引き、特典会には当たり前のように応募し、あたればハッピーだし、当たらなければまあしょうがないか、というその程度の気持ちになっていました。

そんな感じでなんとなく会いに行くもんだからポーズ指定も適当。

話す内容だって毎回同じような内容で……

話したいことは山ほどあるんだけど……なかなか言葉になっちゃくれないよ!ってね。いや藤くんじゃないんだから。

なんとなく、あれ?これでいいのかな、と思うようになりました。

なんだか、めせもあ。にしがみついてるような気待ちになったりして。

 

c!!を好きだということに関しても、なんだかずるいような、逃げてるようなそんな気もしてて

好きなモノを大きな声で好きと言ってはいけないような

なんでそんな風に考えちゃうのか分からないけど

とにかく、こんな風に思う自分もとても嫌でした。

 

そして、最初のころはこんな感じじゃ無かったのにな、と埼玉1日目にc!!の定期に行った時に思い出してしまって。

ステージ上に立つ姿を見ただけで嬉しくてにやけてしまう

視線があったかもしれない、というだけで舞いあがって

何の話をしようかとドキドキしながら列に並び

覚えてくれているというその事実だけで東京まで来てよかったと思ってしまう

 

ああ、そうだ、最初はこうだったのに

 

初めて行ったライブ、誰ひとり友達もいなくて、物販なんか当然分からなくて

コールも全く分からなくて、それでも楽しくて

接触に行くこともなく、ただライブを見て、それだけで1人帰りながら電車の中で興奮が抑えられなかった。

あんなに心が躍るライブは初めてだったし、やっぱり私は緑推しだって確信したあの日。

初めて会いに行った日、チケット1枚握りしめて、初めまして、と声を出したあの日。

 

いつからか覚えてくれていることに慣れ

名前を呼んでくれる事に慣れ

話すことに慣れ

好きだという気持ちを伝えることにも慣れ

推しからもらう優しい言葉の数々にも慣れ


当たり前の日常、だけど

当たり前にしてはいけないことを私は当たり前にしてしまっていたなぁと。

そんな自分が、とてつもなく気持ち悪いと思いました。

いい加減にしろ、くそ野郎!って感じですね。

 

私は推しの言葉を何一つ理解してなかった。

 

そんなことをぼんやり考えながらライブを見て、気付いた時にはもうパシフィック展望台でした。

 

「あぁ最高の眺めだなぁ、あぁがんばってきてよかったなぁ」

「ここに立てるのか不安で、目に見える約束もなくて」


こんな風にこの歌詞を歌うこの人達を、いま、この瞬間に、このライブで見られることが奇跡だと、どうして忘れていたんだろう。

 

「あぁふるさとは見えないかなぁ

あぁあいつにも見せたかったなぁ」


拡大解釈すぎるのは分かっているけど、

私のふるさとなんて遠く見えない遠く離れた埼玉で

最近では現場がなくても遊んでもらえるような

私がどんな決断をしても見守り、味方になってもらえるような大好きな友達に囲まれて見るこのライブが、私にとっての日常になっていると思いました。

あいつにも見せたかったな。

 


「前よりもっともっと君が近くに見える

今まで何を見てきたんだろう、何を知った気になっていたんだろう」


前よりもっと、もっともっと遠くなり続ける彼らのことを、私は何を知った気になってたんだろう。こんなにライブを見てきたのに、どこを見ていたんだろう。

いつも笑って接してくれる推しに私は一体今までなにを求め、これから何を願うのだろう。


涙でステージが見えなくなるのが嫌で、こらえながら目に焼き付けようとする光景はあまりにも眩しかった。

そんなときに限って、そんな悲しい顔をするんじゃないよ、推しよ。

笑ってくれよ。笑った顔が好きなんだよ。


ライブが終わったあと、悲しい気持ちでいっぱいになりました。

それは、後悔と、自分の愚かさと。

でも少し気持ちが楽になりました。

諦めても良いのかもしれない、と思えたから。

 

私の日常は私が作るもので

でもそれはめせもあ。がなくてはもう成り立たたないモノになってて

だけど

めせもあ。だけの日常ということでは決して無いんですよね。

 

推しが言ってくれたのに。

自分の人生を頑張って、って

画面の向こうじゃなく、私の目の前で

言ってくれたのに。

ぜーんぜん分かってませんでした。

 

 

あと何回、隣に座って話をできるのだろうか

あと何回、手を握り、今日もかっこよかったよと伝えられるのだろうか

あと何回、少し高くした声で私のださいHNを呼んでもらえるのだろうか

あと何回、世界で一番かっこいいステージ上の姿を見ることができるのだろうか


あとどれくらい、フォーゲルさん、と呼べるのだろうか

 

後悔のないように、ひとつひとつの現場を大切にする。

もちろん足を運べる範囲で現場には行きたい。

でも、質よりも量をこなすオタクになってはいけない。

私が楽しいと思える環境は私が作らないと誰も作ってくれない。

心から楽しと思えるコンテンツだから私はたくさんのお金を使ってきた。後悔なんて微塵もない。

これからもそうありたい。

ちゃんと納得して楽しい方へ進みたい。

楽しい気持ちで過ごしたい。

だから好きなモノは好きというし、

ほかのグループだって一生懸命応援する。

好きだから。

めせもあ。は、たくさんの要素から成り立つ私の日常の中のひとつだから。

大きなひとつだから。


そんな風に考えることができました!

 


きっと満員であろうパシフィコに立つ彼らの姿を、

この現場に来なければ会えなかった大切な人達と一緒に見たとき、私はどう思うのだろうか。


その二日後の生誕祭ではどんな言葉で推しに感謝を伝えるのだろうか。

去年よりも上手にお誕生日おめでとうを言えるかな。

 


とてもとても楽しみです!


環状線のようにぐるぐると周るこの感情はまた同じ道を通ることになるかもしれない。

でもきっともう迷わない!

 

ちゃんと、私の日常を豊かにするために私は現場へ行きます。

 

たくさん心配と迷惑をかけた方々、すみませんでした。

話を聞いてくれた方達ほんとにほんとに、ありがとうございました。

 

まだ全部が解決した訳じゃないから(主にプライベート)まだまだ病むこともあるかもしれないですが、しばらくは元気でオタクできると思います。大丈夫。

 

 

 

 


「そう、キミと一緒ならね!!」